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2019年3月18日 (月)

赤い八木秀次は天皇制度破壊の急先鋒⑦ー八木秀次によれば、ご出産をされた女性天皇が存在したらしい 2

 過去8人(十代)の女性天皇が存在したが、例外なく皇配はいなかった。少なくとも女性天皇の在位期間と譲位後は、ずっと独身であられた。もちろん御出産の機会は皆無であった。

おさらいしておこう。

1.推古天皇は、敏達天皇の皇后であった。2男5女をお産みになった。585年に敏達天皇が崩御された。592年に推古天皇が史上初の女性天皇となられ、その後半生は独身であられた。

2.皇極天皇(重祚して斉明天皇)は、舒明天皇の皇后であった。いうまでもなく、天智天皇、天武天皇の母である。641年に舒明天皇が崩御され、642年に皇極天皇として即位された。その後は、譲位と斉明天皇としての重祚をされて、在位中に崩御された。しかし、皇極天皇として即位されて以降は、独身のまま生涯を終えられた

3.天智天皇を父に持つ持統天皇は、天武天皇の皇后であった。草壁皇子(皇太子)をお産みなられた。天武天皇が689年に崩御された。690年に持統天皇として即位された。その後は独身のまま生涯を終えられた。697年、文武天皇に譲位されており、「中継ぎ天皇」であられた。

4.元明天皇は、草壁皇太子と御結婚され、元正天皇、文武天皇をお産みになられている。しかし、草壁皇太子は即位されることなく早世された。697年に文武天皇が即位されたため、「皇太妃」となられた。しかし、707年に文武天皇も崩御されたため、同年に元明天皇として即位することとなられた。715年に娘の元正天皇に譲位、721年に崩御された。草壁皇太子が早世されてからの後半生は、独身であられた。

5.元正天皇は5人目の女性天皇であるが、生涯独身であられた。

6.孝謙天皇(重祚して称徳天皇)は、日本史上ただおひとりの女性皇太子となられた。生涯独身であられた。

7.明正天皇は6歳で即位され、20歳で後光明天皇に譲位された。生涯独身であられた。

8.後桜町天皇は21歳で即位され、29歳で後桃園天皇に譲位された。生涯独身であられた。

 結論としては、女性天皇に即位された方には、例外なく皇配がおられず、譲位後も独身のまま生涯を終えられている。これが皇室の「法」である。

 この事実を国民が熟知すれば、「愛子天皇」は愛子内親王殿下を生涯独身の孤独と寂寥の人生にしてしまうことに気が付く。

 八木秀次が「女性天皇にお子様がいた」と大嘘をつくのは、「愛子天皇」擁立の可能性を残しておきたかったのだろう。

 八木秀次のコラムを読むたびに、行間から滲み出る皇室への煮えたぎるような悪意に背筋が凍りつく。

 いずれにしても、八木秀次を長年「学者」として重用している月刊「正論」は、読者を欺いてきたことになる。

購読者の皆様には、自問していただきたい。

八木秀次の記事が掲載されている雑誌を。今後も買い続けますか?

それとも、日本人であることを止めますか?

(この項続く)

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コメント

こいつ、これでも学者か?
わざと間違えているんか?
ありえへん。

大学教授って、気楽な職業や
俺も麗澤大学に転職したいわ。

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